もうこれ以上の感傷に浸っている余裕はなかったのです
まだ2016年夏休みの車中泊での旅を書き終えてもいないのに、去る9月12日から2泊3日で長野の旅に行ってきました。幼なじみのキクちゃんが是非俺も連れていけということで二つ返事で了解して旅立ちました。この話はいずれどこかで書くかとも思います。
話はまだ秋田市仁別あたりをうろついているのです。ここでは2年間のべ半年に渡りおよそ5000坪の耕作地を相手にして百姓の真似事をしていたのです。水道・電気・ガスなしのまったくもっと原始的なアウトドア生活を送ったわけであります。今考えるとジツに無謀としか言えないようなものですが、時々懐かしく思い返されるから不思議なものであります。
先にも書きましたが、妻が秋田の地を踏むのは初めてのことであります。ここまできたのだから、ドン・キホーテのごとく孤軍奮闘したこの地を是非見せたかったのであります。
メインの通りからはずれて一段と細い道に入り橋を渡り耕作地に入りました。
そこに広がっていた光景は無残としかいいようのない耕作放棄地でありました。本当はこの地に一泊して当時一緒に遊んだ近所の人たちを訪ねて酒でも酌み交わそうかとも思っていたのですが、そんな甘い考えは太平山の麓の谷に綺麗さっぱりと散っていってしまいました。
これは紛れも無く自分の敗北の後であります。これ以上この地にとどまって感傷にひたるほどの神経を持ちあわてないので、自然に無口になり、「さて、今晩のネグラを探そうか」と重い口を開いてボソリと告げると「あれ、今晩はこの場所に泊まるんじゃなかった?」と妻が怪訝そうに尋ねてくる。
「いや、もっといい場所があるから」と無言でもときた道を引き返すのでありました。