再び日本海を眺めながら
あれ?男鹿半島って秋田市内からこんなに距離があったかなと訝しがりながらも、暗闇の国道7号線を北上し続けました。
以前に秋田市仁別の開墾地で百姓の真似事をやっていた時に5日間に渡って大潟村まで鶏糞を貰いに一日3往復したことがあったのです。男鹿市と大潟村は隣り合っていたような気がします。だから、その時に身に着けた距離感からいうとなんだか今回はとても遠く感じたのでした。
もっともその時は鶏糞をより多く開墾地に運び入れることが最大の目的であったので、頭の中は鳥のウンコのことで一杯であったから、周囲の景色はそれほど飛び込んでこなかったのは確かなことではあったのす。
その鳥のウンコもそんじょそこいらのウンコではないのであります。まさにそれは比内地鶏のブランドウンコなのであります。その貴重な鶏糞を好きなだけ持っていっていいというありがたい申し出に舞い上がってしまいました。また偶然にもタイミング良く、後、数日で廃車にしてしまうというボロボロの2トンダンプがあるとの話を聞きつけて交渉の結果、これも無料で借りるのに成功したわけであります。
不思議なものであります、これまで農業の経験などほとんど無かったわけでありますが、数ヶ月、土にまみれて這いつくばって汗を流していますと、自然、農業に対してどん欲になっていったのでした。
だからその時は、その距離からいって一日に2往復するのが限度だろうと云われたのですが、この機会を逃したら、この宝の山を手に入れるのは困難になるだろうと思い、かなり無理して一日3往復を5日間も強行したわけであります。
最初ダンプを借りられるのは3日間だけの約束だったのですが、無理を承知で平身低頭して後2日間延ばしてもらえないかと必死になって頼み込んだのであります。あの時は自分でも不思議なくらいに必死で懸命であった事を思い出します。
鶏糞にも熟成期間が1年ものとか2年ものというのがありまして、私が手に入れたのは確か3年ものだった思います。
3年ものともなればほとんど糞尿のきつい匂いが消えてしまっていますが、それでもかなり臭うことは確かなことであります。以前の私だったら絶対にそのような香りのする場所には近づかなかったでしょうが、これらのものがこれから育てる野菜の最高の栄養になるのだと思うととても良い匂いに思えてきて、まったく平気になっていったのであります。
男鹿半島を一周して再び国道7号線を北上し始めた時に、あの宝の山にみえた鶏糞熟成小屋を探してみたのですが、まったく見つけることができませんでした。