旅に「たいしたことのある」ものを見つける楽しみ

遅ればせの夏休みでありますが、まだ行き先は決まっていない。これはいつもの事であります。本州の西の方は山口と広島を残すだけとなっているのだが、本来なら迷わずにそちら方面を目指すべきだろうけど、先日も書いたとおりに今年は懐具合がかなり寂しいので泣く泣く断念することにする。
四国は何年か前に訪れているので、残すは本州の一部と九州なのであります。
今時、車を使って日本一周したからと云ったって誰の感慨も呼び起こすわけでもないのだから、別段それほどの執着を持っているわけではないからいいのですけれども。
これまで伊勢神宮と出雲大社と行ったのだから最後の仕上げは熱田神宮となるのだけれども、この選択肢もそれほど寺社仏閣が好きだというわけでもなから、それほど強い動機にも成り得ないのであります。
神社つながりで余談を申し上げれば、終戦の日に他国が大騒ぎする靖国神社の場所を調べてみました。以前に勤めていた会社の近くに「靖国通り」というのがあって、そうかこの道をとことこ歩いていけば「靖国神社」にいくのだなぐらいに思っていたけれども、とことこと歩いて行ったわけではなかったので、はっきりと場所を確認したことはなかった。さっそくググッてみたら、なあんだ講道館の近くではありませんか。あの周辺は取引先があったから結構ウロチョロしていたのですが、まったく気がつかなかったのであります。
私のところからは総武線一本で行けるわけですから、秋になってもっと涼しくなったら散歩がてらに参拝してみたいと思います。と云ってはみたもののかなり怪しいものがありますが。

昨晩晩酌をしていたら、妻が彼女の友人が佐渡ヶ島に行ってきた話をしていました。その話のなかで「たいしたことがなかった・・・・」という言葉が引っかかったのであります。旅談義でよく耳にするのは「どこそこへ行ってきたけど、たいしたことなかったよ・・・」であります。
「それではたいしたことがある」とはどういうことなんだろうということであります。旅先でデズニーランドのような施設があればたいしたことがあるということなんでしょうか。それならば自宅から30分ほどでいけるデズニシーにでも毎週のように通えば済む話ではないかということであります。
私にとってはデズニーランドなんてものはできた当時2度ほど行きましたけれども、もう2度といきたいと思わない場所なのであります。だから私にとってはかの場所は「たしたことのない」ところなのであります。
強引にこの話をまだ続けますと、旅というものは自分でたいしたことのある事を発見することだと思っているのです。
これは旅の話ではありませんが、散歩コースに小さな祠がちょっと離れて2つあります。地元育ちの人たちは庚申様といえば通じますが、私をはじめよそ者が大半をしめるようになった現在ではその名さえ知らないというのが実情であります。私も始め知らなかったのですが、それは馬頭観音を祀ってあるそうです。
ここからは私の妄想になりますが、この場所は以前は高射砲部隊もありましたし、かなり大きな部隊が配属されていたのです。当然軍馬も相当数飼育されていたものと想像されます。もっと詳しく資料を漁れば自分の住む場所の謂れを知ることができるものだと思います。残念ながら私にはそのような根気と情熱がありませんので、せいぜいこのあたりで妄想たくましくする以外しかないのですけれども。

旅するってことは見過ごしてしまいそうな何気ない風景や事物の中に、たいしたことのあるものを発見することも楽しいことなのだと思います。本当は地元の人と親しくなって聞くのが一番ですけれどもテレビの旅番組のようなわけにいかない難しさがあったりしますけれども。

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